日本料理を海外へ|海外初進出を大成功させた立役者【前野料理長】

2021.10.28

プロフィール

鎌倉市の茶懐石料理屋で修行の後、東京八丁堀の小料理屋で日本料理の奥深さを学んだ。

北大路では、10年間3店舗で調理主任を務めたのち、
銀座本店リニューアルのカウンター担当として船越総括調理長に寿司の技術を認められる。

その後バンコク店のオープンスタッフとして、
日本からの選抜した5人の板前の寿司トレーナーとして総括調理長に同行し活躍。

その功績を認められて、帰国後新業態の『寿司番屋銀座本店』のオープン調理長に就任。
立て続けに、バンコク2号店の『sushi kappou kitaohji』、『寿司北大路品川店』の調理長を任される。

恩師の船越総括調理長の引退前にバンコク店の調理長として着任。
高級デリバリー商品を開発し成功した。

大東企業に入社して、15年異例のスピードで出世し、今では海外店舗の責任者を勤める。
海外での契約関連にも自分の決裁権限をもち仕事をしている。

料理長の仕事の他に、海外での現場責任者、大東企業の顔を担っています。

寿司業態開発の際には、バンコクにいながらも、新店舗オープンの為に

日本に駆けつけるほど、会社から必要とされる板前です。

どんな思いで仕事に向き合っていましたか?

料理を作る事がとにかく好きでお客様に美味しいと言っていただく一言が原動力です。
美味しいと思ってもらえるために、誠心誠意日本料理と向き合っています。

日本料理は引き算の料理になります。
フランス料理や中華料理、イタリア料理などは足し算の料理と言われます。

調味料も少なく、味を複雑にしない。食べた瞬間に考えてしまう味は私の中で美味しいとはいいません。食べた瞬間に「美味しい」を大事にしています。余計な調味料は入れず、素材の味をどう生かすかを大事にしています。

ファーストフードが入ってきて日本料理を食べられなくなっており、最近の若い方には忘れられる傾向にありますが、これが美味しいの根底です。昔から日本料理のプロは引き算でおいしくすることを大事にしています。

料理長になるまでの道はどのようなものでしたか?

北大路で10年間の調理主任時代、ふぐ調理師免許を取得し、接待会席を学びました。当時は寿司部門もカウンターも無い為、下積み時代を長く積んできました。

調理長へのチャンスは北大路銀座本店のリニューアルの時で、豪華な檜カウンターを造作ししました。これより板前を全面に出すコンセプトにチャレンジし、平行して初の海外出店に向けて動き出す事になり、自身のパフォーマンス力で総括料理長の右腕として成果を上げていきました。

ー 前野料理長がこれまで携わった店舗 ー

銀座本店

バンコク1号店「北大路」オープン、

帰国して寿司番屋のオープン調理長に就任

バンコク2号店「sushi kappou kitaohji」オープン

「寿司北大路品川店」オープン

3年間で3店舗の新規出店を調理長として経験し、カウンターのプロフェッショナルとして寿司スタッフの育成に貢献しました。

自分でこなす事は簡単でも、人に同じ感覚を伝える難しさの壁は大きかったですが、現地の育成トレーナーとして最大限に力を発揮出来たことにより、調理長として認められたと思います。

自分の強みは何ですか?

強みは握り寿司のクオリティの高さと、カウンターでのパフォーマンスと料理アレンジの発想力に長けている事です。

プライドも何もないので、他の人がやらないことを常にできていることです。

北大路ではカウンターがないため、カウンターパフォーマンスができる人は多くありません。とに会話力で、お客様と絶え間なくコミュニケーションをとっています。

チャレンジとしてやってきたことは何ですか?

社内初出店の寿司部門を立ち上げ、調理長として3店舗を監修

1. 寿司番屋 銀座本店

2. バンコク2号店の「sushi kappou kitaohji」

3. 寿司北大路品川店

4. バンコク1号店でコロナ禍の高級テイクアウト料理の開発

規律はものすごく大切ですし、厳しいのは当たり前ですが、チームが一つの目標に向かい楽しめる職場を作りたいと理想にありました。

そのために部下を理解し、チームとして最高のパフォーマンスが出るようにマネジメントを行ってきました。

本格的に海外にいく前の話

海外にいくきっかけになった理由と心境の変化を教えていただきたいです。

北大路に入りお世話になっていた恩師(船越総括料理長)の一言で決めました。

海外は初めてなので、全てがゼロの状態でしたので、確かに不安はありましたが、仕事はどの場所でも変わらないと思っていたので実務に対しての不安はありませんでした。

もともと、長期休みはなかったため、海外は行ったこともありませんでしたが、バンコクに来てからはいろんな国に行くようになりました。

海外に行くための準備はどのようなものでしたか?

行く国の文化と最低限の言葉は覚えました。

現地の同じ様な業態の情報や海外の方から見た日本料理とは?的な客観視した見方を、インターネットや既に海外に出ている業態の書籍などからヒントを得ながら考えました。

大変だったこと、チャレンジしたことは何でしたか?

やはり言葉の壁は大きかったですね。

最初の頃は交通機関も使いこなせなくて、長い距離をよく歩きました。時には水も飲めないこともありました。

食材は日本のものを使用することを大切にしています。

しかし、当時、日本の食材を買えるところなどまだまだ少なく、野菜など現地食材で代用できる様な物はないかローカルの市場などに出向いて直に探すこともあり、たいへん苦労しました。

4年間で10人ものバンコクにいった板前の中で最後に選ばれた背景はどのようなものでしたか?

北大路の板前の中で一番のカウンターパフォーマンスの持ち主、トレーナーとしての指導力と経験値の高さで選出されました。

1号店目は個室会席北大路

2号店目はsushi kappou kitaooji

もともとバンコクに会席料理という言葉はありませんでしたが、北大路出店後に周りの店も会席という名前にするなど、コピーするような店が増えました。

2号店のkappouも、もともとkappouというお店は存在しませんでしたが、2号店オープン後にkappouという名前でコピー店が出るほどでした。

帰国後、調料長として『寿司北大路品川店』を成功した事により、寿司部門の開発を一任されるまでになりました。

バンコク店の調理長に選ばれるまでの話はどんなものでしたか?

日本とバンコク間の渡航は5年間で、最多の板前として活躍しました。

日本での寿司北大路出店のため、帰国の準備として副調理長に厨房を任せることになり、自分の代わりの調理長の育成にも尽力しました。

本格的に海外にいったあと話

海外で大変だったことは何ですか?

言語のみのローカルなところで慣れるまで何を言っているのかもわからず、買い物にも困りました。

日本の当たり前をバンコクでやろうとするのは本当に大変でした。

料理作るのも、サービスするのも現地人だから、現地の価値観と考え方で動くので同じ指導法ではうまくいきませんでした。

さらに国民の民度も違いを感じます。文化が違う人に何かを教えるのは忍耐だなと感じました。普通というものは現地では通用しませんでした。

100%のことを100%できないことは当たり前、考え方が違うんだと思い、前向きに取り組みました。

海外で楽しかったことは何ですか?

やはり、現地のスタッフと意思の疎通ができ、一緒に笑えたことです。

英語も話せない中で、頑なに身振り手振りを使い指導したかいがありました。

一緒にチームとしてやっていかなくてはいけない中で、まえが見えず奮闘しているときに分かり合えたときの感動は一生ものです。

現地でのチーム体制はどのようなものでしたか?

巨匠(顧問)と現地スタッフ、日本人2人でやっています。

現在、タイ人スタッフが21人います。コロナ前は53人で回しておりました。

お店は365日フル稼働で、定休日なしで働き続けています。

海外のお客様と接して何か感じたことはありましたか?

皆さん日本料理にすごく興味を持っているらしく、それに支払って頂く対価も適正な価格で勝負できるマーケットだと外に出て初めてわかりました。

日本の食材は全て関税と輸送コストがかかります。特に雲丹などは関税30%です。一箱7万円しても良い物は高いですからと買って帰るお客様もいらっしゃいます。

中途半端な日本料理ではなく、ほんとに求められている本物の日本料理を提供したいと感じました。

お客様とのコミュニケーションで工夫していることはありますか?

お恥ずかしい話ですが、最初はカウンターにカンペを貼るなどなるべく会話を増やしたいと臨んだ時期もありました。こちらが緊張するとお客様も緊張してしまい美味しいと感じて頂けないので場の雰囲気はすごく大切にしていました。

私は特に流暢に英語も話せないのでお客様の表情をよく見ます。同じ様にお客様もシェフを良く見ています。

ですから、いつも笑顔で話しかけられやすいと思われる振る舞いを心掛けました。喋れなくても沢山話しかけました。

僕の誕生日の日にカウンターの全てのお客様が歌ってくれた時は、ちょっと感動しましたし、この仕事やっていて良かったなと再確認しました。

海外でのミッションとは何ですか?

北大路のイズムを現地のスタッフに理解してもらい、一緒に日々成長して 海外に日本と同じ北大路を繁栄させる事だと思っています。

いつも思っている事は、日本の普通は海外では普通じゃないと言う事です。自分の当たり前は自分だけ、伝える言葉も単純にして本当にして欲しい事だけ伝える様にしています。

今後チャレンジしたいこと何ですか?

御年52歳、気持ちはまだ30歳。生涯職人として、食をきわめたいと考えています。

ここ30年で多くの料理を経験し、素晴らしい料理にも出会ってきました。とにかく料理の幅が広くなり、引き出しが増えました。

毎日が学びとチェレンジの連続ですので、もっともっと幅のある料理人を目指していきたいと考えています。昔ながらの、引き算の美味を追求し、本当に美味しい和食を提供していきたいです。

新人教育、後輩の板前を育てる、北大路の発展、そして日本料理の発展に貢献できる板前として、職務をまっとうしたいです。

現地の管理スタッフも成長してきているのでクオリティを保つ為にも、これからもこの場所で日本と同じ北大路を伝えられたらと思っています。

クオリティをあげていくのはもちろんのこと、サービスレベルも向上させていきたいです。「おもてなし」というように、表も裏もないサービス、そしてお客様の欲しいものをお客様が気付く前に提供することを心がけていきます。

北大路バンコク店を運営する大東企業株式会社では、板前を積極的に採用しておりますので、

ご興味のある方はご連絡ください

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