日本料理店をいざバンコクへ波乱万丈の海外進出

2021.9.1

今回はバンコクへの出店をゼロからスタートし、

2021年で8年間走り続けている大東企業企画部長の高橋が

海外出店での苦い思いから、

成長につながった経験などを赤裸々にお伝えしていきます。

北大路が東京から海外へ

創業90年の老舗「個室会席北大路」は、

2015年にバンコクのトンローに海外1号店をオープンしました。

まるで日本にいるような庭園を臨むダイニングと

9部屋の個室を備えた2階建ての一軒家で、

総括料理長船越の手による本格会席料理を提供しています。

海外進出をした理由

私自身(高橋)が海外在住歴が13年ほどあり、

「長い間、日本人ってなんだろう」

というアイデンティについて考えさせられる時が多く、

良き日本の商品を海外で展開することが私自身のライフワークでした。

海外にも近年多くの日本料理店が増えていく中で、

その中身は日本料理とは言いにくいものも存在します。

バンコクで本当の日本料理を提供できているお店は当時、存在しませんでした。

どれも、日本料理を真似てはいるが、どこかぎこちないといった感じで、

日本の料理を誤解されてしまうようなものでした。

「北大路では本物の日本料理を海外でも提供したい。」

そんな思いで、バンコクで店舗を展開しました。

現地バンコクでの出来事

大変だったこと(物流の違い)

日本の常識が世界の常識ではありません。

日本で当たり前だと思っていることが、

海外では異常だったりします。

例えば、業者さんと約束された事が、

当たり前に実現されないなんてことも、、、しばしば

日本では、物を注文したら、注文した物が、期日通りに届く。

実はこの当たり前な事が、世界的には凄い事なんだと認識しました。

日本から離れたら、

違う物が届く。請求金額が違う。期日通りに届かない。

そもそも論、物自体がない。

日本では普通あり得ないような事が次々と起こり

荷物一つ受け取るのもひと苦労でした。

何より日本から物を送ると、通関で止められ、

正規の書類をしっかり提出しても荷物を出せない。

国の法律や規則を優先するよりも、

通関担当者の個人的な利益で、物事が優先される場合が多く、

何を進めるのにもアンダーテーブルの交渉が必要で時間がかかりました。

日本から持ち込んだ装飾品や、お皿など3か月間止められてたなんて事もありました。

倉庫での保管代に異常な価格を請求されたりする事も…。

大変だったこと(店舗建築)

まず、日本の場合、

工事を発注したら、工事を管理する人がいます。

運ばれてくる物をチェックしたり、

図面通りに物が作られている事を担保する人が必ず存在します。

私たちが発注し、工事金額の1/4の支払いを終えて、

工事が始まると、工事監督がいない事に気が付きました。

1つの持ち場の作業指示をする人はいるのですが、

全体のマネジメントを行う人が、いなかったのです。

問い合わせると、別注文。

しかも、多額を請求されましたので・・・

結局、自分たちで納品されたものをすべてチェックして、

1つ1つの作業が図面通りに作られているのか、

毎日、メジャーをもって、ヘルメットをかぶって

現場に入って、寸法を測っていました。

もちろん、注文していない材料で、

勝手に仕事が進められていたものに

クレームをつけて、やり直しをお願いする。

こういった建築事務所が行うはずのことも

自分たちで行っていました。

大変だったこと(人材確保)

人材確保には特に苦労しました。

1番重要な人材は、指導側のポジションになります。

日本で高度な仕事ができる方(技術力を持った料理人)

海外で仕事ができる方(現地に合わせた商品作りや、外国籍スタッフを使える方)

海外で仕事をしたい方(海外環境に適応する能力がある方)

この3つを兼ね備えた人材は、ほぼ皆無でした。

もし、存在するとしたらその方はオーナーシェフとして、

個人店を既に開業している方がほとんどです。

タイは、日本より、

新店オープンの参入障壁が低く(コストが安い)。

店舗を作る事に対して

パトロン(お金を出して自分のお店を持ちたい裕福層)

を見つけるのが簡単だからです。

それがゆえに、大型の高級有名ブランドは、

バンコクで失敗するケースが非常に高く、

世界中で大成功を収めている

飲食ブランドでさえも、3年持たないありさまでした。

仕事を覚えたスタッフは、

すぐにジョブホッピングして、

転職してしまうのです。

なぜならば、1つのお店で、2年勉強したら、

給料が2倍、3倍になって転職する事が普通だからです。

日本ですと

サービス業で、同じチーム、同じ職場で働いているスタッフの

お給料が5倍以上異なる事はあり得ませんが、

バンコクでは当たり前のように存在します。

サービスや商品の品質を一定にキープすることさえも難しい。

バンコク店には総人口の1%未満の裕福層が頻繁に来店します。

商品の変更を多く求められますので、その度に

新しい商品とオペレーション改善を繰り返さなければなりません。

人材確保の問題で、

高級大型店をビジネスとして成り立たせる事が大変難しい環境です。

大変だったこと(着付け)

接客に関しては日本人を採用せず、

全員タイ人スタッフだった為、

着付けや北大路のおもてなしを教える事も大変でした。

店舗が完成する前から始めたトレーニングでは、

着付けやサービスの練習場所に

近隣のホテルやマンションの踊り場を借りる場面もありました。

オープンまでの短い時間でのトレーニングでしたが

日本のスタッフよりも上手に着物を着れていたのには驚きました。

バンコクでのパートナーの存在により助けられた

「海外事業の成功はパートナー次第」

とよく言われますが・・・

私達はパートナーに恵まれたのが成功の第一要因です。

北大路が組んでいたパートナーは

シンハービールというバンコクで最も有名なビール会社でした。

パートナーが悪ければ、

お店ができる前に撤退をしていた事でしょう。

タイは、地主が強く、

契約期間で出ていけと言われれば、

出ていかなければいけません。

何の保証もありません。

地上げなどで撤退するケースをよく海外では見かけます。

契約期間は、およそ3年です。

1回の契約延長権利を付けても6年になります。

これでは、2億円以上の投下資本をかけて

高級大型店を作る事は出来ません。

パートナーが、国の省庁関係者、弁護士、会計士、不動産鑑定士

などの交渉団を結成して、交渉を行い、

特別な契約を締結させることができなければ、

一軒家料亭を作る事も不可能でした。

物流を停止させられた時の交渉や、

テレビやメディアを動かす力、

業者の信頼調査や、

雇用者の犯罪履歴のチェック、

お店のセキュリティー担保、

従業員のストライキ等の問題。

パートナーがいなければ、まともには動きません。

シンハービールは、

純潔なタイ財閥企業ですので、独特な文化はあれど、

彼らの力なしでは実現はできなかったプロジェクトでした。

最後に

今回、開店するまでの

北大路バンコク店のお話しを赤裸々にお伝えいたしました。

ここからは店舗開店からのお話しになります。

無事店舗開拓をしたものの、

待っていたのは予想もしない出来事の連続でした。

6年走り続けて、今では大成功を納めるバンコク店ですが、

それまでの道を次の記事で描かせていただいておりますので、

合わせてご覧ください。

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